2008年がもうすぐ終わります。
年の瀬まで来るとあっという間に過ぎたように感じるけど、間違いなく1年分しっかり生きました。というか元取りました。特に北海道に来てからはいろいろな事があった。彫刻を作ろうと決めた結果の引越しだったにも関わらずそこまで辿り着けなかったのは悔いが残るけど、でも今までの人生でこれほど一生懸命生きた時間はなくて、それを思うと非常に有意義な時間を過ごした1年とも思います。
とはいえ来年は4月と7〜8月と12月に展示の予定があるから作らん訳にはいきません。ちなみに今はその前の2月に予定している会社の展示会のために準備をしています。1年に4回も展示なんて、なんでこんなむちゃな予定を組んでしまったんだろう?
それを考えるとちゃんと作品を展示出来るのか正直怖くなるけど、しかしこうでもしないと無精なオレは制作をしない。
だからこれでいいのである。ありがたい事にオレの彫刻が欲しいと言ってくれる人もいるし、そんな声に応えられるよう一つ一つやっていこう。
では皆さん、良い年を。
いや、正確には「久保田が来て、酒を根こそぎ呑んでいった」なのだが、引越しの際に頂いた<久保田>、それから先月お土産で頂いた<赤城山>等、彼と一緒に呑んだ。そして久々に酔っぱらった。といっても二日で日本酒一升とビールやら焼酎を数杯呑んだだけだけど。引越し後オレはパーティーや仕事先で嗜む程度にしか酒を口にしていなかったせいか、酒に弱くなった。久保田と呑むと言ったら以前だったら生ビールを3〜4杯呑んだ後、二合とっくりで6〜8杯注文するのは当たり前、という呑み方をしていたのだが(でもオレは必ずと言っていい程帰り道でゲロゲロ吐いてた)、今のオレはそんなだし、久保田も今じゃ「レディーファーストが身に付きました」とか言ってるし、持ってきてくれたお土産は酒ではなくおしゃれなチョコだし、本人もおしゃれになってるし、お互い上品な呑み方ができるようになったものだ。
ただ久保田、雪道を楽しそうに走ってたのは酔っぱらってたからなのか?
午後7時頃。
玄関チャイムが鳴り、嫁がインターホンで応対後玄関に行った。
オレはリビングでテレビを見ていたのだけどドア越しに何かのセールスである雰囲気を感じたので、携帯で自宅の電話に電話をかけ、「電話鳴ってるので失礼致します」という流れで客を帰し、嫁をリビングに戻そうと考えた。しかし、客は一向に気にしていない様子。もう一度鳴らす。同じ。なんだかんだと10分程経ち、嫁が上司の名前を教えてくれとか、そんな事を言ってるのが聞こえ、思ったよりも面倒なセールスなのが分かったので、オレも玄関に出てみた。
すると若い男が玄関のドアが閉められない位置に立っていて、出てきたオレを見て驚いていた。
嫁はオレを見るなり「この人帰ってくれない」と言う。
それでオレはその男に「何?」と聞くと「読売新聞です」と答える。
オレ:「あーいらんいらん」
読売:「は?」
オレ:「いらんと言ってんの」
と言ってドアノブに手を伸ばし、その男をドアが閉められるところまで後ずさりさせる。ドアを閉めようとすると「じゃあそれ返して下さい」と言う。嫁の手を見るとビール券やらいろいろ渡されていたので全部そいつに返し、ドアを閉め鍵をかける。で、嫁に「何でドア開けたの?」と訊いたところインターホンでは「配達です」と言ったから宅急便だと思って開けたとの事。卑怯な手を使う奴だ。開けた時「新聞の配達です」と言ったらしいので、それで整合性を保とうとしているのだろうが、配達を頼んでもいない場合、それは配達とは言わんだろ。といっても「整合性」なんて言葉も知らんような奴だったが。
嫁が手に持っていた物も強引に渡されたものらしい。
追い返した後、その男の写真を撮っておけばよかったと思った。
新聞の勧誘には東京での一人暮らし中にも何度も嫌な思いをさせられたが、真っ先に思い出すのは1990年の秋の夜の事。当時住んでいた立川のオレの風呂無しアパートのドアがノックされ、開けると読売新聞の勧誘だと名乗る中年男性がいた。確か二人。で、今日の嫁と同じように要るともいわんうちにビール券を握らされ、3ヶ月だったか半年だったかとにかく短期でいいから契約してくれ、と言われた。しかしその日は読売ジャイアンツが西武ライオンズに4連敗という不甲斐ない負け方で日本一を逃した日。ジャイアンツファンのオレは全く面白くなかった。そのせいか、後になるとエラい強気な対応をしたもんだと自分の事ながら恐ろしくなったのだが、その時オレは握らされたそのビール券をその男のスーツのポケットに突っ込み、「こんなの要らんから、ジャイアンツをもっと強いチームにしてくれよ」と言った後、その男の両肩に手を伸ばし、クルッと反転させた後背中をドンと突き飛ばして玄関の外に出した。
その後我に返って、この二人に外で待ち伏せされてエラい目に遭わされるんじゃないかと恐ろしくなったのも覚えてるが、当時の新聞の勧誘と言えば本当にそうした事をしかねない事を口にしたものだ。友人の中には勧誘(読売ではない新聞)を断ろうとすると「夜、外を歩く時は気をつけろ」とすごまれ、しぶしぶ契約した奴もいた。
インターネットの普及の影響か、引越し前の東京ではそうした強引な勧誘がなくなっていたが、地方にはまだまだいるらしい。
ったく油断出来んよ。
月・火の二日間、名古屋に行ってきた。
名古屋に行くのは3回目か4回目。
それをネタに日記を書くつもりだったのだけど、今回は写真を全然撮らんかったしいつものようにその場所にいる事を楽しむ余裕が全然なかった。
それはたぶん営業という不慣れな仕事が目的であったため。作品ではなく会社の製品の方の営業。
商売には営業が必要な事は分かっていてもこれはいつまで経っても慣れない。緊張する。出来る事ならやりたくない。でもそうも言ってられない。やらなくてはいかん。
結論から言うと、すぐに商談成立という事にはならなかった。苦手意識を持ちながら取り組んでこういう結果が出てしまうと「やっぱり」と思って気持ちに逃げる部分を作ってしまうのがよくないな。営業が得意ですと言えないまでも、もうちょっとどうにかならんだろうかと思う。まあでも、もともとは2月に発売予定で試作を重ねている製品だったし、だから頂いたアドバイスをもとにもっと完成度を高めよう、と心の中で言い訳をする。
あるお店の方(現在別の製品で取引をさせて頂いている)には
「販路も決まってないのに製品を増やし続けるなんてすごいよ」
と言われ、それで一般的には販路のあてがあって、それから試作を始めるものなんだと知らされた。そういうアプローチで物作りに入るのがビジネスなんだな。オレの場合、作りたいという気持ちが先にきてしまう。販路は2月の展示会で見つけられるものと期待を持っているけど、それも漠然としたものだし、製品を世に出すアプローチとしては問題ありなのかもしれん。
が、これはもうどうしようもない。まあ問題ありかもしれんけど好きな事を先行させているというところではいい思いをさせてもらってるとも思う。だからこそやっぱり営業上手にならんといかんのだけど。
今回名古屋へは初めて飛行機で行ったのだけど、途中飛行機から富士山が見えて感動した。飛行機から富士山を見たのは2回目。
先週、こちらは積雪50センチ近い日があって、その日以来気温も風景も一気に冬になった。
今週前半は比較的暖かく、一昨日は雪ではなく雨が降ったのだけど、昨日になって気温はまた一段と寒くなり、結果、一昨日降った雨と雨が溶かした雪は氷って道路はかなり危ない。車を走らせるとツルツル滑る(もちろん歩く時も)。こんなところを車が走ってるのはホントにすごい事、そんな地域に高速道路があるのは奇跡だよ(芦別にはないけど)。
ところで、わが町芦別には若松市政という元プロレスラーの市議会議員がいる。20年程前に拡声器片手にストロングマシーンを引き連れていた人、といえば思い出す人もいるだろう。その若松氏は自分の車に選挙時に使うような看板を常時取り付けているのだが、そこには「スパイクタイヤをはかせろ!事故はいやだ!命が一番だ!」という彼の訴えが書かれている。
スパイクタイヤを知らない人の為に書くと、現在冬用タイヤとして売り出されているのはスタッドレスタイヤで、スパイクタイヤはもう随分前から使えない事になっている。それは雪のないところではスパイクタイヤが道路(アスファルト)を削ってしまうのが問題になったためなのだが、スパイクタイヤとスタッドレスタイヤ、その効果の差は歴然としており、だから道路が氷ってるとやっぱりスパイクタイヤを使いたくなる。
そうだ、若松!!事故は嫌だ!!命は大事だ!!
スパイクタイヤをはかせろともっと訴えてくれ!!
と、この看板に同調したくなる。そう思うのは多分オレだけではあるまい。実現出来るものなら是非とも実現させてほしい。
しかし・・・この人、この看板出してる以外にこの訴えの実現の為に何か活動してるんだろうか?
先日、映画学校のウエルカムパーティーに出席した事は日記にも書いたけど、若松氏はそこに上下水色のジャージ姿で参加していた。これがこの人のスタイル、と言えばそれで終わってしまう話しだけど、しかし過疎化が進む小さな市ではあるが、そこの現市議会議員だぞ。そんな人が、こうした町をあげて来賓を迎える場にジャージで来るのはどうかと思ってしまう。庶民なオレはビビったよ。若松さん、あなたの今の肩書きは「芦別市議会議員・若松市政」だろ、と心の中で突っ込んだよ。
そんな人だから、スパイクタイヤの訴えも思い付いた事をただ看板に書いてるだけなんじゃなかろうかと思ってしまう。本気でスパイクタイヤをはかせろと訴えているのなら、害のないスパイクタイヤの研究を自費、又はメーカーに促して進めるとかすべきだし、それが出来ないなら、例えば、踏切手前の路面が氷ってブレーキが効かないなんてシャレにならんから(でもそうなってるからホントに怖い)、そこだけでもどうにかして氷を剥がすとか(プロレスラーだったのだからやっぱり普通の人よりは力があると思うし)、そういう努力をすべきじゃないのかね?
それは地域住民にもウケるし、あなたの訴えが本気であると裏付けられる行動にもなると思うのだが。
じゃないと、ただのウケねらいとしか思えんぞ。
ちなみに看板に書いてある氏の名前、KY若松の「KY」の部分はwikipediaによると
<リングネームの「KY」とは、「国際プロレス」と、同団体社長だった「吉原功」の頭文字をとったもの。自らをプロレスラーとして送り出してくれた、両者への敬愛の念がこめられている。>
との事。
写真は今月初め遊びにきたTさんが撮ったものを勝手に拝借。
オレは馬鹿なんだから、こんな真面目な事を書かせるなよ。
昨日、映画学校のイベントで大林監督の最新映画「その日のまえに」を見て来た。
当初はその感想を書くつもりだったけど、あんまり気が進まん(芦別での公開は一般公開よりも早いらしいというのもちょっとあるのだが)。
しかし、これを書けば今月4つ目の日記。反則っぽいが、書けば週一回のノルマを今月はクリア出来るので、感想の代わりに映画をよく見ていた学生時代に好きだった映画について書こうかな。
学生時代、1週間に2〜5本は映画(ほとんどはビデオだけど)を見ていた。当時は平日はほぼ毎日学校に行ってたし、週に2回徹夜でバイトしてたから忙しいのは忙しかったのだが、それでも1週間に5本て・・・。つくづく学生って恵まれてるよ。
今は映画を観る時間はほとんどなくて、今年は1月に「ジプシーキャラバン」を観ただけ。最近オレはバルカンビートという音楽にハマってるのだけど、この映画は世界各地に住んでいるロマ(ジプシー)と呼ばれる人達の音楽を題材にした映画で、すげーよかった。DVDがなかなか発売されないから諦めてたのだけど、今調べてみたら売ってるじゃねーか。
話しを学生時代に戻すと、とにかく大学時代は出かけて遊ぶ程金を持ってなかったから小銭をじゃらじゃらさせてレンタルビデオ店に行き、気になるものを片っ端から観てたのだけど、中でもキレた人が出てくる映画が好きで、「フォーリングダウン」のマイケルダグラス、「地獄の黙示録」のロバートデュバル、「タクシードライバー」のロバートデニーロ、「ブレードランナー」のルトガーハウアー、「野獣死すべし」の松田優作と鹿賀丈史、「ミシシッピーバーニング」のジーンハックマンなんかのキレ具合にすげーと思いながら何回も見たもんだ。お気に入りのシーンは何十回見たか分からん(当時は何分何十秒から好きなシーンが始まるかも覚えていた)。
好きな俳優はそうした役も演じれる人で、上に挙げた俳優はマイケルダグラス以外は好きで(でも「フォーリングダウン」のマイケルダグラスははまり役だと思う)、特に好きなのはロバートデュバル。初めて「地獄の黙示録」を観た高校1年時、キルゴア大佐のキレ具合は強烈に脳裏に焼き付いたが、そんな人が「フォーリングダウン」では冴えない刑事やってて、それはそれですげーと思ったよ。というか、「フォーリングダウン」を初めて観た時、その刑事がキルゴア大佐を演じた俳優だとは分からんかった。シブ過ぎるぜ。
「ゆきゆきて神軍」の奥崎兼三にもビビった。ま、あの人は演じてる訳じゃないのだが・・・。だからこそビビったのだけど、とにかく「ゆきゆきて神軍」も強烈に頭に残ってる映画だ。
監督だとアランパーカーが好きだった。「ザ・コミットメンツ」「バーディー」「エンゼルハート」「ミシシッピーバーニング」「ミッドナイトエクスプレス」を何度も観た(「ケロッグ博士」の頃にはアランパーカー映画に飽きてきてたのと、「エビータ」はミュージカルってところでどうも受け入れられんかった)。アランパーカー映画のどこが好きだったのかと改めて考えても自分でもよく分からんのだけど、いろんなジャンルの映画を撮れるその幅の広い表現領域がすごいと思って、そんなスタンスで彫刻が作れないかと考えていた時期があるのは覚えてる。
今は当時みたいに映画が観たくて観たくてしょうがない、みたいな感覚はもうないのだけど、学生時代に観た映画は今もたまに見たくなるよ。
あーでも今一番欲しい映画のDVDはやっぱり「ジプシーキャラバン」だな。
「星の降る里芦別映画学校」というオレがこの町を出てから立ち上げられた組織(という表現は硬いかな)がある。
映画学校と名乗ってるということはやっぱりそこには映画制作を学びたい生徒がいて、それを指導する先生がいて、というのを想像していたのだけど、どうやら年中生徒と先生がいる、いわゆる学校という運営はしていなさそうで、その代わり毎年、ある時期に映画監督の大林宣彦氏を招待し、何かイベントを企画しているらしい。
というのがオレがここに戻ってくるまでの映画学校の認識。
で、この週末がその「ある時期」だったようで、今日「星の降る里芦別映画学校ウエルカムパーティー」というのが催されていたので参加させてもらった。ゲストはもちろん大林宣彦氏、それから大林監督の最新映画「その日のまえに」の主役である南原清隆氏(ウッチャンナンチャン)、同作に出演されている村田雄浩氏。
大林監督はテレビで見た通りの人だったが、ナンチャン、それから村田さんは、テレビで見るより全然かっこ良かったよ。特にナンチャンは。
実は大林監督はオレが今働いている父の会社に数年前に来た事がある(町を一望出来る山の中腹に会社があるためだと思われる)。そんな縁もあってオレの親は会社の敷地で採れるキノコを送った事がある。それを監督は律儀にも何かの雑誌で文章にして下さった事がある(名前は出て来ないけど)。
だからオレは「監督!!初めまして!!僕、キノコの息子です!!」とか名乗ればおそらく監督はオレがどこの誰かを理解して下さると思われ、そこから接点を作る作戦で近づくつもりでいたのだが、過疎化が進むこんな小さな町でも大林監督やナンチャンが来るとなると人も集まる訳で、監督はじめゲストの皆さんはパーティー中ずっと参加者から写真やサインを求められており、奥ゆかしいオレはそこをかきわけて「どーも、キノコの息子です」と名乗れる勇気はなく、ホセ・メンドーサがジョーのパーティーに参加した時のように壁際でじっと一人で立っていた。オレがホセ・メンドーサ級のオーラを発していたとしたら、ホセがジョーの肩にギュッとアザをつけたようにオレも監督他ゲストの皆さんの脳裏にギュッとアザをつけられたところだが、残念ながらオレにはそんなオーラはなく・・・。
この手のパーティーがあるといつも書く事だが、オレはこういうパーティーが苦手でしょうがない(それなら行くなよと言われてしまうかもしれんが、でもこの手のパーティーがこれからの人生に必要な事も理解している)。
という訳でゲストとの接点は全くなかったのだが、しかし、頭一つデカイ背丈と田舎では目立つ事この上ない長髪のせいでか、このイベントの縁の下の力持ち的な方々には話しかけられ、そこで伺ったお話しは有意義かつ面白そうな事であったので、オレが彫刻の制作をしている事、アート方面になら繋がりを持っている事を話し、今後お手伝い出来る事があればお手伝いさせて下さいとお伝えした。
で、肝心の映画学校だが、あるテーマに沿った短編映画を一般公募し、大林監督他審査員の方々でその中から優秀作を選ぶという活動をされているのが分かった(ウエルカムパーティーの中でその受賞者の紹介もあった)。縁の下の力持ち的な人達の心意気に触れ、オレにお手伝い出来る事があれば、と書いたのは上の通りだが、しかし、オレがキリンアートアワードで奨励賞を頂いた時の大賞作品は映画だったのだが、その監督さんから、映画の資金を確保する為に同じ志を持つ仲間と安アパートで共同生活をしているという話しを聞いているせいか(確か6畳の部屋に2段ベッドを二つ入れて4人で生活していると聞いたように思う)、映画製作はそれくらい大変なものだと認識しており、だからこの学校の活動にもそれくらいの情熱を期待してしまうのだが、さてどうなる事か。
明日は映画「その日のまえに」の上映。
見てきます。
こちらに引っ越してから仕事が自宅でも出来てしまう、というか、自宅のPCでしか出来ない仕事があるため、1時間程の細切れ睡眠しか出来ん日が結構ある。寝る場所と仕事場が同じところにあるから仕事を一段落させたつもりで布団に入っても、ぼんやり仕事が気になって、ついPCに向かって続けてしまう。9月下旬からは特にその仕事が増えたのでそれ以外の為にPCに向かう気になれずそれが原因で日記の更新が疎かになってたんだけど(それにしても時間が経つのは早えーよ)、その仕事はその仕事として、平日は一応朝8時に会社に行かんとならん。そして注意を怠れば簡単に指が飛ぶ機械を使って仕事をしなくてはならんから細切れどころか3時過ぎても眠れん時はちょっと焦る。で、布団の中でごそごそしているうちに無意識に羊を数え始めてるのだけど、数え始めると羊が現れる光景を頭の中で描きたくなり、そうすると、数とともに羊は右から現れるべきなのか、左からなのか、いや向こうから駆け寄ってくる登場だってあり得るし俯瞰だって出来る、そこは晴れてるのか曇ってるのか、昼なのか夜なのか、季節は? どんな場所? 登場する羊は一体何をしてる羊なんだ? つーかそもそも羊が生きてると思い込んでるが、もしかしたら死んでるのかもしれん、といった感じで羊の登場シーンの設定でいきなりつまずく(もう一つ書くと「羊が一匹、羊が二匹」と数えるけど、羊の数え方って一頭二頭じゃないんかね?)。で、そんな事を考えてるうちに羊の登場シーンをモチーフにいろいろな映画監督に映画を撮らせたら面白いかもしれんと考える。その後いつも頭に浮かぶのは映画「エイリアン」とか「ブレードランナー」みたいに煙とか水蒸気が立ちこめて、その奥にある換気扇がゆっくり回ってるのがぼんやり見えるところに羊がただじっと立ってるだけの映像。何故かいつもそれを思い浮かべる。マトリックスみたいに羊の周りで視点をぐるぐる回転させながら登場させた事もあったが一頭の登場に時間がかかってしょうがないから二頭で飽きた。
コッポラなら、タランティーノなら、黒沢なら、深作なら、と考える。楽しくなってくる。
そうこうしているうちに外から、ブィーン、ガチャコンガチャコン、と新聞配達のバイクの音が聞こえ始める。
朝になっちまった・・・。
羊数えて眠れる奴っているんか?数える時、こういう事気にならんのか?
オレの場合は一先ず、寝る場所と仕事場をどうにか切り離さないといかん(東京には自宅が仕事場になってる友人がたくさんいるのだが、彼らはどうしてるんだ?)。
タイトルはブレードランナーの原作「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」のパクリ。分かる人には分かりすぎるタイトルです。
先週、オレが大学で助手をやっていた頃生徒だった子が遊びに来てくれた。1週間も時間を作ってわざわざ来てくれたにも関わらず天気はすぐれず、というか、初雪まで降ってしまったし、きっと当初予定していたよりも行動できなかっただろうと思う。
しかし天候には恵まれなかったが、彼女は今回の旅で貴重なものを見たとオレは断言出来る。
それは城である。
城の名前は徳川城。スゲー名前の城だろ?
これはオレが東京に住んでいる間に隣町の赤平(あかびら)という町にいつの間にか出来た建物で、そんな最近建てられたものであるから当然「城」として機能していた建物ではない。何でも、日本人形の製造会社が工房だか、展示会場として建てたんだそうで、城の本当の名前も人形工房徳川城。よく見ると窓にも「ひな人形」「五月人形」と書いてある。
城が人形工房ってなんじゃそりゃ?
と思わん人はいないだろ、きっと。
城の中で人形が作られているなんて、そこらの現代美術よりも訳が分からん。訳が分からんものが芸術だとしたら、こいつはかなり芸術である。そのデカさからいえば村上隆なんか比じゃねーぞ。
前々から気になっていたこの建物、今回、天気に振り回されて思い通り出歩けない彼女を引き連れてとうとうその敷地に足を踏み入れたのだが、残念ながら今は使われてないようで、建物の中には入れなかった。しかし裏側に回ったら石垣にガラスがはまってたからウケた。
浦沢直樹氏の「20世紀少年」に出てくる裏側がハリボテの建物みたいじゃねーか。
写真を撮らずにいられんかったよ。そしてそんなオレの姿を彼女は写真に撮らずにはいられんかったらしい。
オレが思うに、北海道人(もちろんオレも含めて)は一般的に他都府県に比べて日本としての歴史が浅い事が頭の隅にある。それが大きな葛藤になり、更にそれが大きな金と繋がると、突如としてこういう日本的だったり、歴史の長さを感じさせるイミテーションの建設になっていくのであるが、こうした訳の分からない建物が集まっている町は間違いなくオレが今住んでいる芦別市である。
ビビるぞ絶対。訳の分からんもののオンパレードだからな。ある意味世界遺産だ。
気が向いたら、取材してくるよ。
現在、人生で最も髪が長い。
最近、飯を食う時に髪が口に入るようになり、特に髪の長さを感じるようになった。
髪を伸ばし始めたきっかけはレッチリのPVのジョン・フルシアンテを見て、いい歳して、カッコいい、こんな風になりたいと思ってしまった事。だからようやく口に入るようになった程度ではまだまだ長さは足りんのです。
しかし、こんな理由で髪を切ったり伸ばしたりするのは、そうしたいと思う事はあっても、でも実際にそうするのは世間一般ではせいぜい学生時代までなんだろうなー。
大学時代、バンド活動に明け暮れる長髪の友人がいて、オレはこいつは絶対にミュージシャン(ドラマー)を目指していると思っていたのだが、ある日彼は突然ばっさりと髪を切って雨上がり決死隊の蛍原みたいな髪型で就職活動をしていた。
学生時代だけ、とハナから決めてたからミュージシャンを目指してるように見える程のエネルギーを発してたのかもしれんけど、彼の影響を少なからず受けていたオレは、彼に連れられて高いところに登ったらいつの間にか彼は下に降りてて、しかも梯子を外されたような、そんな風に感じ、正直「なんで?」と思ったよ。
彼とはそういうところで繋がっていたようで、卒業以来全く連絡を取ってない。
というか、どこにいるのかも知らんし連絡先も知らん。まー死んでる事はないとは思うが。
なんでそんな事を思い出したかというと、嫁が当時の写真を引っ張り出してきたから。
金髪です。ボーカルは寿司パーティーの時の門脇、ドラムは現在国立で画廊を経営しているアリさん、ギターはマンガ「フリージア」の作者次郎君。
この時のオレは「ロッキー4」の敵役イワン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン)のようになりたくて金髪にしたのです。
16年も経ってるのに発想が全然変わってねーよ・・・。