オレが着てるTシャツ、素敵なTシャツだろ?
このTシャツはオレの小学5〜6年時の担任で今も時々お世話になっている田中武志先生のお嬢さん、田中千草ちゃんがデザインしたTシャツ。
もっと正確に言えば千草ちゃんが現在教師として赴任しているカンボジアの学校の他の先生や生徒さんと一緒に作ったTシャツ。
千草ちゃんは3年前にJICAの隊員としてカンボジアの学校に赴任し、隊員としての任期を終えた後も赴任先の学校から残って欲しいと強い要望があり、現在もカンボジアで教師として活動を続けている。彼女はそういう要望が出るのが想像に難くない素敵な女性。そんな彼女が一時帰国中と聞いたので、日曜日、田中先生宅にお邪魔した。
カンボジアと聞いてまず思い浮かぶのはポルポト。それからキリングフィールド。いいイメージではない。とはいえそれはもう30年も前の事。30年という時間の中でそのダメージから回復してるんじゃなかろうかと漠然と思ってたけど、彼女に現地の状況を聞くとすぐに「ポルポト」という言葉が出たりして、ポルポト政権時代に教育者等の知識人を根こそぎ粛正されてしまったダメージは今も生々しくあって、教育を普及させるのは相当大変らしいのはすぐに感じた。教育とか文化とか、ポルポトが破壊してしまったものは人間が長い年月をかけ何世代もの人が少しずつ少しずつ作っていくもので、なくなったなら作りましょうと言って一世代や二世代の人間が人工的に作れるようなものではないのだと思う。一体何故あんな事をやったのだろうか?あんな政策の先に明るい未来、明るいカンボジアを感じた人間が一人でもいたのだろうか?(それは今の北朝鮮にも思う事だが。)
彼女が赴任している学校の生徒総数はなんと4500人。単純にその人数の多さにもビビリ、その生徒相手に授業をやってるというのだけでもすごいと思ったけど、それをポルポトを経験したカンボジアでやっている千草ちゃんは本当にすごい事をしてると思う。もしオレがそんな状態にある国に行っても何をしたらいいのか分からないまま、自信だけを失って帰ってくるような気がしてしまう。
彼女は生徒の笑顔から元気を貰っていると言ってたけど、その笑顔が活動を続けられるモチベーションに違いなく、その笑顔にもっと触れたくて彼女はいろいろな事をしている(現在JICA隊員ではない彼女は給与らしい給与をもらってない)。たとえば日本の学校から使わなくなったピアニカやリコーダー等を送ってもらって楽器を使った音楽の授業を立ち上げるとか。彼女が作った手作りの音楽の教科書には本当に感動した(写真を撮っておけばよかった)。あんな事をしてもらって喜ばない子供はいないと思う。
それでもやっぱり圧倒的に教材が足りない。アナコット基金という名前のもとでこうしたTシャツを作り始めたのはそんな状況を少しでも改善したくてなのだと思う。
頑張れ千草ちゃん!!
現在彼女はカンボジアでの活動を載せるHPの開設準備中との事。
それが立ち上がった時にはまた改めてお知らせしますが、彼女の活動に興味のある方は一先ずオレにご連絡下さい。
ちなみにこのTシャツの値段は¥1,800-。
3歳児のウチの子供にはちょっと大きいけど、ジュニアサイズもあります。
そこのあなた、お一ついかが?
さて、横浜では久保田が展示の準備を着々と進めてる様子。
見に行きたいところだけど、今オレは芦別を動けない理由がありまして。それはまた後日報告するとして、今回は展示を控えて気合い入りまくってる久保田についてオレが知ってる事を書きます。
東京を拠点にしていた約20年、東京に出なければ出会えなかったと感じる人は沢山いたけれど、久保田はその代表的存在。
最初から気になる奴ではあったけど、オレは年齢だと3才、大学の学年では2年久保田より上で、だから大学時代は飲みに行った先で偶然久保田が車で通りかかったらその車の上によじ上ってボコボコ飛び跳ねたり、基本的にものすごくエラそうに久保田に接してた。けど、久保田の卒業制作の作品、巨大な鉄の塊がもの凄い音を立てて動く作品を見た時にこの男には絶対に敵わないと思った。鳥肌が立った。その作品を見て感動して泣いてるおばさんもいた。
オレは学部→大学院→研究室スタッフという流れで大学に残ったのだけど、2学年下の久保田も同じく学部から大学院に進んだ。その辺りから接点が増え、毎週飲みに行くようになった。ある女の子に「二人、ホモなんじゃない?って言われてるよ」と言われ、それに対し久保田は「違うよ馬鹿。お前らはプラトニックラブをわかっちゃいねーな」と全然否定になってない事を言ってホモ説に油を注いでくれた事もあったが、とにかくよく飲みに行った。
金がない時は研究室の酒を飲みまくった。一度、研究室で飲んだ帰り道、気持ちよくなってた久保田は全力でチャリをこぎ、曲がり角でも全力でこぎ、曲がり切れずにブロック塀に激突して額を十数針縫う大けがを負った。それで当時のオレの上司だった先生が久保田を研究室出入り禁止にした。けど、久保田は相変わらず飲みにきてた。
大学院の修了作品展では近年の作品の原形となる、車を回す作品を展示して学部の時同様人だかりを作り、大学中で話題となってた。久保田の作品は外に展示されてたのだけど、ガラスを隔てた屋内にあった久保田と同期の学生の小さな作品が粉々に砕けてたのを思い出す。それはおそらく久保田の作品に目を奪われた人に踏まれてしまったから。久保田の作品の近くに展示したらこういう目に遭う事もある。
大学院を出ると久保田は2年以上かけて竹林を開墾し、アトリエを建てるという、東京にいながら北の国からの黒板五郎みたいな事をしてた。あそこには多分竹が千本はあったと思う。手伝いに行ったオレは1日で熱中症でばてた。
そんなエピソードを知った留学生ミヒャエルは久保田をバンブーマンと呼んだ。そのミヒャエルに久保田は酒を一緒に飲む事の意味を伝えようと「酒の一滴は血の一滴」をそのまま「ワン ドリップ リカー イズ ワン ドリップ ブラッド」と伝えてたけど、ちゃんと伝わったかはわからない。それは分からないけど、酒を飲み過ぎたら下痢になるというのを「トゥーマッチ リカー イズ ジャクソンポロック シット」と言ってたのは伝わってた。下痢をジャクソンポロックシットと表現する奴をオレは久保田以外に知らない。それがちゃんと伝わった。この男はすごいとあらためて思った。
ミヒャエルが帰国後、久保田と一緒にミヒャエルが通うフランクフルトのシュテーデルシューレに遊びに行くとミヒャエルが久保田について友人達にいろいろと話してたらしく、既に久保田(バンブーマン)の存在を知ってる人間がいた。到着した日からシュテーデルでは芸祭が行われており、そこで知り合った一人が酔った勢いで久保田に腕相撲を挑んできて、久保田は彼にあっさり勝ったところ、その後次々と挑戦者が現れ列が出来た。20人位いたと思うけど、その20人にも久保田は右左両方でことごとく勝ち続けた。最後に「あいつならバンブーマンに勝てる!!」と言って呼ばれた超マッチョな奴にも久保田は勝ったのだけど、そのマッチョは「あ、ズルした!!バンブーマンは今ズルしたぞ!!」みたいなセコいいちゃもんをつけて強引にしきり直しにさせてようやく久保田から1勝って事もあった。
2003年、オレはムサビのパリ賞を取ってパリに行き、翌年久保田も賞を取ってパリに来た。パリでオレは作品なんか作らないでぷらぷら旅行ばかりしていたのだけど、久保田は到着してすぐに作品を作れないフラストレーションを感じ始めてた。ある柔道教室の師範が趣味で金属を使った彫刻を作ってると聞けば、そのアトリエを貸してもらえるのではないかと期待して柔道教室に体験入学に行ったりして、最初の1ヶ月は作る場所をひたすら探してた。しかしパリに滞在出来るのは1年間だけ。作る場所を探すのは時間がかかると判断して、しばらくしてから、もともとあった背中の吉田松陰の入れ墨を黒い入れ墨で覆っていく、その過程を撮影してそれを作品にするというのを思いついたといってオレの部屋に来た。あまりにも凄いアイデアでビビった。いつも久保田がやる事は凄過ぎるけど、今度ばかりは実行しないだろうと思ってたが、本当に始めた。「思いついちゃったからしょうがないんです」と言ってた。すごい理由だと思った。オレはその過程の撮影を頼まれた。二度と取り直しのきかない撮影だからかなり緊張しながら何枚も撮った。
久保田をオーストリア人のウォルフガングに紹介したところ、ウォルフガングは自分が編集に携わる本の表紙に久保田の入れ墨の写真を使いたいといって久保田をウィーンに呼んでた。
という具合に久保田について覚えてる事を書き始めると止められない位に話題に事欠かない人物(これはまだまだ氷山の一角)。
で、今回久保田はベルリンで制作した作品を日本に輸送して、それをメインに横浜の神奈川県民ホールで展示を行う。輸送といっても持ち歩けるような大きさではなく、旧東ドイツ製の車トラバントがメインのパーツの作品。デカイ。
http://www.bachigai.info/artists/
オレはベルリンで制作途中のその作品を見せてもらった事があるけど、それを日本に運んで展示する事になったと連絡を受けた時はやっぱりすげーな久保田は、と思った。
どんどん突き進んでる。
これを読んでる方で横浜近くにお住まいの方、是非見に行ってあげて下さい(今年芦別の僕の個展に来て下さった芦別出身で神奈川在住のSさん、もし読んで下さってたら是非会場へ行ってあげて下さい!!)。おそらくパフォーマンスを行うのは毎日ではないと思うので日時を確認して下さい。
この日記(?)のタイトルは北野武監督の映画「その男、凶暴につき」のパクリであるのは言うまでもありません。ちなみに「その女、変態につき」というエロビデオもあります。
今展示でお世話になってるデンさんにはスペースが二つあって、オレは小さい方で小品を4点展示させてもらってる。写真はその一つ。
大きい方のスペースはデンさんを拠点に活動している小橋陽介さんの絵画展。近年、かなり作品が売れてる方です。コレクターもいらっしゃると聞いた。いやいや羨ましい。
オレの今回の作品について、オーナーの手島さんがブログで触れて下さってるのだけど、過去に手島さんに見て頂いたオレの作品が、デンさんで初めてお世話になった個展で3メートル、その後のキリンアートアワードで4メートル超の銃で、あとポートフォリオにおさまってる東京を拠点にしていた時の作品が大きいものが多いので、手島さんはオレが今回も巨大な作品を作ってるというイメージをお持ちだった様子。いや、もちろん大きいのを作り、展示したいけど、現実的に北海道から大阪まで巨大な作品を送るのは非常に難しく・・・。
手島さん、次回に期待して下さい!!
と言いたいところだけど、実を言うとデンさんは今月で閉廊してしまう。
今までお世話になった画廊の中でも手島さんには特にかわいがって頂いたので、最後の展示に声をかけて頂けた事は光栄に思いつつ、でもやはり淋しい。
もともと大阪とは無縁だったオレが手島さんと知り合ったのがちょうど10年前の1999年。翌年1月に個展でお世話になり、その半年後、キリンアートアワードで賞を頂きKPOでも展示する機会に恵まれ、その後もデンさんで二回も個展でお世話になったので、オレにとっては大阪=デンさんな訳で、だからデンさんが止めてしまうとまた大阪とは無縁・・・とは言わずともかなり疎遠になってしまいそうな気がしてしまう。
それに、お世話になった画廊の決断には自分を取り巻く大きな流れみたいなものを感じてつい後ろ向きな事を考えてしまう。しかしながら手島さんはデンさんは閉廊するものの、京都のとある場所に築120年の古民家を購入され、そこをレジデンスとして活用しようと次なる行動に移って既に動き出してる。
感傷的になってる場合じゃない。見習わなくては。
ネットをさまよってるうちにこんな動画を見つけた。
http://www.youtube.com/watch?v=eZ-i-H427B0
ここに映ってる場所はオレがムサビの学生・研究室スタッフとして12年間、通学・通勤路として通っていた東京小平市の朝鮮大学前の道路。この学校の隣りにムサビがある。この動画が撮影された日、ムサビでは芸術祭(文化祭)が開催されてたんだそうで、という事は彫刻学科の後輩達は隣りの学校でこんな事が起きてると知ってか知らずか、モヒカン頭にふんどし一丁という格好で男根神輿を担いで風変わりな青春を謳歌していたはず。
朝鮮大学の事で最初に思い出したのは朝鮮大学の学食は男女別々になってるという話。ある先生が授業中に言ってた。
だけど朝鮮大学というところは基本的に外部の人間は入れないから実際には見た事はない。本国北朝鮮と同じく閉鎖的というか、秘密主義な場所なのだけど、オレが在籍していたムサビの彫刻学科の工房は朝鮮大学とムサビを隔てる壁のすぐ隣りにあったため、壁の向こう側の様子は工房から見る事が出来た。一番近い朝鮮大学の建物には美術室と思しき部屋があり、そこにはそれまでに見た事がない東洋人風の石膏像が見えて、あれは金日成か?金正日か?それとも北朝鮮の他の重要人物なのか?と気になって友人達と目を凝らして見た。結局分からなかったけど。
それは2年生の時の事で、その前年の秋、朝鮮大学側から地響きのようなすごい歓声(怒号?)が断続的に聞こえてきて、何事かと思い校舎の高い所に登って声のする方を見てみたらグラウンドで大勢の男子学生が棒倒し大会をやってた事があった。その光景、競技への気持ちの入り方やエネルギーの放出の仕方がすご過ぎてビビったのを覚えてる。ムサビの学生は基本的に自分の世界に入ってモノ作りに夢中、体力作りは二の次、集団行動は苦手、というタイプが多くて、運動系のサークルももちろんあるけれど、彼らが集まってもあの時見た戦場みたいな棒倒し大会、ムサビではあり得ない。
学校近くの食堂や居酒屋で朝鮮大学の学生と一緒になる事もあったけど、彼らは門限に合わせて早い時間に退散する事もあり(朝鮮大学は全寮制)ほとんど接点がない。友人から、酒の席でのトラブルについて何度か聞いた事はあるけど、オレ自身は遭遇した事はなかった。とはいえ拉致やノドン・テポドン、金正日の国の学校。あと、宮崎学氏の著書「突破者」の中で宮崎氏が一緒に活動していた朝鮮大学の学生が突然失踪したというくだりがあったように記憶してる事もあり、直接的な接点やトラブルはなくても考える事はいろいろある。
一度、大学近くの居酒屋に友人と飲みに行ったらボクサーの徳山選手の防衛戦がテレビ中継されてて沢山の朝鮮大学生がその画面に釘付けになってた事があった。で、防衛が決まった瞬間、隣りのテーブルにいた朝鮮大学生が「すごいでしょ!僕たちの誇りですよ!」と興奮気味に話しかけてきた。その時初めて彼らのアイデンティティーに直に触れた。しかし、日本の情報に触れながら日本で育てば、いくら北朝鮮が素晴らしい国、金正日が天才的戦略家だと学校で教わったとしてもそうは思えないだろうし、彼らは北朝鮮と現体制をどう捉えてるのかは気になるところ。飲み屋でたまたま隣り合わせた知らない男に自分のアイデンティティーをアピールするくらい祖国への愛が強い人達なのであれば、朝鮮大学には裕福な家庭の子供もいるらしいし、そうした資金力やコネクションを使って祖国を極貧状態に陥れている現体制を失脚させ新体制を作ろうと画策する熱い人が一人くらいいたっていいんじゃないのかとも思うのだけど。素人のオレにはあと2〜3カ所柱を引き倒せば潰れてしまうくらいグラグラしてる体制に見えてしまうし。自分たちのルーツがあんなボロボロの国でいいのだろうか?
金正日が拉致を認めた2002年秋以降は朝鮮大学の校門にパトカーがしょっちゅう張り付いてた。恐喝電話が入った、という通報が朝鮮大学からあったのだろうか。任務にあたった警察は複雑な心境だったに違いない(この動画に映ってる警察もそうだと思うけど)。だけどこの動画に映ってるような活動はオレがムサビにいた6年前までの12年間では見た事がない。北朝鮮に対する日本人の怒りが年々強まって、身近なところでもそれが溢れ出してるように感じる。そうした動きが北朝鮮の横暴や悪事を制裁する力になっていけばいいと思うけど、この活動にはそうした効果があるのだろうかと思ってしまう。中心人物と思しき男性が彼の入校を拒む警察に向かって「そこにつけてるニューナンブ(銃)で私を撃て!!朝鮮人に殺されるくらいなら日本人に殺される方がマシだ!!」と言い出すのは、彼はこうした活動をしているために朝鮮人に殺害予告を立てられてるとかそういう伏線でもあるのだろうか?なんとなく、しゃべってるうちに興奮状態になってつい言ってしまった事のように思えるのだけど、そういうところが素人っぽくて着地地点の見えない活動に感じてしまう。抗議してる事については理解出来るけど・・・。
とはいえ、朝鮮学校(朝鮮大学ではない)の元教員が拉致の共犯として捕まってるし、ここもそうした事と切り離して考えられない不気味な場所。「100%教育機関」とは思えない。
今回の大阪滞在は何せ眠かったので搬入だけで一杯一杯で、大阪に行くといつも必ず見学する国立民族博物館にも行く余裕がなかったのだけど、KPOがどうなったのかはずっと気になってたので行ってきた。
KPOとはキリンプラザ大阪の略で、主に現代美術の展覧会を企画していた展示スペースやレストラン、カフェ、書店なんかが入っていたキリンビールのビル。
ここはキリンアートアワードの大阪の展覧会場だったので、大阪人ではないオレにとっても作品を展示してもらって思い入れのある場所。それが、確か2年前だったと思うけど、閉鎖するというニュースが流れ、それ以来そこがどうなったのかとずっと気になっていたので見てきた。
そうして撮ってきたのがこの写真。
キリンアートアワードもオレが受賞した2〜3年後には中止?休止?してしまって若手を対象とした現代美術系のコンペがまた無くなってしまったのを淋しく思ったのを思い出すけど、まさかKPOまで無くなるとは思ってもいなかったから、そのニュースに触れた時はかなりショックだった。
KPOは多分、独立で採算がとれてた訳ではなく、キリンビール全体からも予算が組まれる文化支援活動の場だったと思われ、だから本業のビール製造程シビアに利益を求めていた訳ではないとは思うけど、とはいえ大阪のこんな一等地なら維持費だけでも少なくないだろうし、宣伝効果というところで見れば、キリンビールはキリンカップなんていうすごいサッカーの大会も支援しているから、それに比べるとKPOやキリンアートアワードは金をかけてる割には大した宣伝効果がないと判断されてしまったのでしょう。
悲しい。
どこかにまた作ってくれないかな。
今回の大阪の展示のため、搬入前一ヶ月間は平均睡眠時間4時間程で制作時間を確保し、特に1週間前からはほとんど寝ず、なんとか開催にこぎ着けた。だから出発日の移動中は暴睡してるか、何故か異常に緊張していた。やっぱり無理はいかんね。来年は少し大人しく、そして計画的に過ごそうと思います。とにかくそんな無理をしたせいか、大阪滞在は滞在記にする程の事を記憶してはいないのだけど、気になる事が二つあった。どちらも千歳空港での出来事。まず最初は出発の日の搭乗手続きを済ませた後、目に入ってきた中国人と思しき外国人の10〜15人程の団体。千歳空港に外国人が大勢いるのはオレが大学進学のために北海道を離れた20年前までの光景とは明らかに違う光景で、どうもまだ馴染めず、それだけで気になってしまうのだけど、その集団が気になったのはそれだけが理由ではなくて、その中の半分以上の人が暖かくなるタイプの便座を持ち歩いていた事。もちろん箱に入った新品の状態でではあるけど、箱にはばっちり便座のイラストが書いてあるから目立つ事この上ない。スーツを着た集団が楽しそうに会話をしながら便座を持ち歩いてるのはかなり不思議な光景だった。日本の女の子がカジュアルな服にエルメスやらヴィトンやらを組み合わせるファッションは欧米人には不思議な姿、というより滑稽だと聞いた事があるけど、スーツ+便座の集団には適うまい。
オレは思ったよ、一体彼らは北海道に何しにきたのだろうか?ってね。
その集団、そのまま国際線で母国に帰るのかと思いきや、オレと同じ飛行機で神戸空港に移動。おそらく彼らはそこから関空に移動したのだと思う。じゃなければ便座を北海道で買う意味がない。それとも北海道で売ってる便座はいい便座だぜ!!便座買うなら北海道だぜ!!みたいな噂でも流れてるのか?
以前、鉄人飯島がこの手の便座は絶対外国で売れる、ビジネスになる、と言ってたけど、本当になるんじゃなかろうか?飯島君、早くビジネスにしようぜ。
彼等は今頃、自宅で気持ちよーく気張ってるに違いない。
日本的便座快適!!故我快便!!
みたいな事を言って。
二つ目の気になる出来事は帰りの千歳空港到着ロビーでの光景で、ここでも登場するのはやっぱり中国人の集団。そしてやっぱり非常に騒がしい。ニューヨークに行った時、チャイナタウンにいる中国人の多さとエネルギーに圧倒されて、アメリカは中国人の国になるのではないかと思ったのを思い出した。いるだけで脅威です、中国人の集団は。
この集団は皆バドミントンのラケットケースらしきバッグを持ち、ジャージを着ていた。北海道で何かスポーツの国際大会でもあったのだろうか?それは分からないけど、この集団が中国人であるのは間違いない。なぜなら全員の服の肩(確か左肩)に中国国旗が刺繍されてたから。40〜50人はいたように思う。それだけの集団がいれば嫌でも気になるのだけど、オレが気になったのは彼等と彼等の隣りにいた集団との対比。そこには米軍兵も10人程いたのである。彼等が米軍兵であるのも間違いない。なぜなら軍服の肩(確か右肩)に星条旗が刺繍されてたから。千歳には自衛隊基地があるから合同演習でもあったのかもしれない。
オレはターンテーブルから自分の荷物をとって、右側に米軍兵、左側に中国人のいる間を通って到着ロビーから出たのだけど、オレと両隣の外国人の関係は世界地図の中国、日本、アメリカ、と同じ位置関係だよな、と途中で気がつき、それに気がつくと、大集団の中国人と、軍服姿のアメリカ人、どちらも何か両国を象徴してる光景に思えた。どちらも国旗をべったりつけてるというのも象徴的じゃないかね?
同じ空間にこんな二つの集団いたら気になるだろ、普通。
オレはどうしても写真を撮りたくなり、ベンチに座ってカメラを取り出した。そして電源を入れていざ撮影しようと顔を上げると米兵のアーネストホーストみたいな奴に「テメー、まさかオレらを撮る気じゃねーだろーな?あ?」みたいな目でギロリと睨みつけられてしまい、撮影を断念。そんなオレもお国を象徴してる気がします。
と自分の小心者ぶりを別の話にすり替えて言い訳しておきます。
制作を優先していたのである。
と言い訳をしておきます。
自分は一日中一つの仕事に集中して一つを完成させては次の一つに進むという具合に仕事を直列に仕上げていくというより、集中力が続く時間ごとにいくつかの仕事を平行にこなしていくタイプの人間だと思っていたのですが(今の生活ではそれが求められてもいるので)、しかしながらどうもそうでもないらしい事に最近ようやく気がついたので、ここ1ヶ月程は仕事を直列にしてこなす事に取り組んでおりまして、そんな訳で特にこの2週間は制作に目処が立つまでブログの更新を控えて制作に集中しようとしておりました。
それでいい結果が得られたのかどうかよく分かりませんが、一先ず制作を終え、土曜日より三日間、個展の搬入のために大阪に行ってきて、さっき家に戻りました。
11/30から3週間大阪ギャラリーデンさんにて小品を展示させて頂いております。
移動中の出来事や、展示、作品に関していろいろと思うところがあり、それについても文章にしておきたいのですが、それは明日か明後日更新するとして一先ず今日は寝ます。眠過ぎます、搬入直後は。寒過ぎます、北海道は。
おやすみなさい。
以前、イエメンのお土産としてシブーいフセインのライターをプレゼントしてくれたわた子さん。JICAの隊員である彼女はその後赴任地がスーダンとなり、2ヶ月程前から緑色のプールにビビりながらも現地の子供達に体操を教えるという活動をしていらっしゃいますが、先日そんな遠い国からの日記でオレの玩具について触れて下さいました。
オレの事を強面と表現するのは少々気になるところではありますが、それはそれとして
わた子さん、ありがとうございます!!
しかもその日記中でオレの前に紹介されてる助産所cigogneさんから、cigogneさんのリンクページにmilcarのサイトを載せたいのですが、というメールをすぐに頂きました。
お断りする理由等ございません!!というかむしろわざわざ連絡を下さり非常に嬉しいです!!
ありがとうございます!!
是非ともよろしくお願い致します!!
cigogneさんのHPのトップページの写真が面白い!!どういう状況なのでしょう?
ロンミュエクの作品を思い出させる、なかなかインパクトのある写真です。
また、cigogneさんのブログは小さなお子さんがいらっしゃる家庭にはとてもためになる内容ではないかと思います。
こちらもmilcar、またはリニューアル中になってるyoshioka-koboのサイトにリンクページを作り次第、リンクさせて頂きたいと考えております。
246graphicsの松田氏も放置状態のyoshioka-koboのサイトを心配されてるし、どうにかしなければ。
でもやる事一杯・・・。
それから昨日会ったフリカケさんが紹介してくれた方にはmilcarの売り込み方をいくつか教えて頂いたのですが、それは作るしか出来ないオレにはもう、目から鱗な提案で、非常にありがたいアドバイスでした。
教えて頂いた売り込み方については早速実行していきたいと思っております。
どんな事を教えてもらったかについてはここには書きませんよ。万が一オレみたいな作るしか出来ない人が読んでたりしたら、真似されてしまうかもしれないので。
オレはそれを許す程寛大な人間ではありません。なにせオレは「お前の物はオレの物、オレの物もオレの物」というジャイアニズムを継承してますんで。
営業トーク能力がほぼゼロのオレですが、こうして力を貸して下さる方々のお陰で売り込む方法は他にもあるのを知り、一歩前に進めそうな気がしております。
ありがとうございます。
昨日は仕事で札幌出張。スーツを着て営業です。で、仕事が終わった後、以前東京で一緒に働いていたフリカケさんと会い、更にその後、S-AIRの進藤さんが参加している展覧会が昨日から始まったのでそちらにもお邪魔しました。フリカケさん、進藤さんから素敵な方々を紹介して頂き、その出会いについても日記を書きたいのだけど、それは後日にして今日は二つお知らせ。
まず、大阪ギャラリーデンさんでの個展のお知らせ。
会場
ギャラリーデン58
大阪市西区京町堀1-13-2 藤原ビル5F
gallery-den.net/
会期
2009年11月30日(月)〜12月19日(土)
時間
12:00-19:00/土曜17:00まで 日曜休廊
現在新作を作っております。が、時間が、時間が・・・。
頑張ります。頑張ってます。
そんな状態なので今は会期中の事まで考えられないのですが、今のところオレが会場にいるのはおそらく初日の17時頃まで、という感じです。
次のお知らせはベースヨシオカの執筆活動についてです。
北海道新聞の朝刊に道内で活動する様々な業種の人達総勢40人程が日替わりで担当するコラム(でいいのかな?)「朝の食卓」というコーナーがあるのですが、オレもそこで文章を扱って頂ける事になりました。
絞り立てのオレンジジュースのようにさわやかだと噂になっていたこのブログが北海道新聞の方の目に止まったという事は決してなく、オレが北海道新聞芦別支局長さんに強引にお願いし、推薦状を書いて頂きました。
芦別支局長様、ありがとうございます!!
絞り立てのオレンジジュースのようなさわやかな文章目指して頑張ります!!
詳細はまだ分からないのだけど、多分来年の早い時期から始まると思います。担当期間は2年間と聞いているので、730日(2年間)を40人で割ると18回くらい回ってくるのかな?
ちなみに富良野在住の画家イマイカツミさんは昨年から書いていらっしゃいます。
そんな訳で来年はまた新たな場所で活動させて頂ける事になったのですが、今年を振り返って2月のギフトショー、4月の個展、8月の個展、9月の玩具の展示、それから今月末から始まる個展、と、時間配分を考えずに5回も展示の予定を入れてしまったため一杯一杯の毎日を過ごしてきて、家族にも迷惑をかけてしまってるのを感じるので、「朝の食卓」のペースが掴めるまでは作品の展示は組まないで、ふらついてる体勢をまず整えようと思っております。
といいつつ、自分の性格を考えると、楽しそうなイベントの企画を耳にしたり、「展示しない?」なんて声をかけてもらうとまたフラフラッとそちらの方に歩み寄ってしまいそうな予感もするのですが、我慢我慢。
ひかり回線の工事が入った関係で1週間程ネットに接続出来なかった。
これは自ら頼んだ訳ではなく、NTTから強制的(といって差し支えないと思う)に工事をされたせい。で、回線が変わった場合、プロバイダのIDが新たに必要になるとまで頭が回らず、その取得に手間取ってしまった。
ったく、夏頃から調子良く週1回以上の更新が出来てたのによー。しかも先週から、イチローの最多安打記録と同じ262を目指して更新しようと思ってたのによー。
NTTより回線をひかりに変えてほしいとの連絡は1年くらい前からあって、でもここは借家だし、大家さんは高齢でこうした事あまり分からない感じだし、オレ自身ネットに特にストレス感じてなかったし、だから今は必要ないと断り続けてたのだけど、2週間程前にまた電話があり、対応した嫁に「ひかりに変えなければなりません。大家さんには自分(NTT)が説明しますんで」と言い、数日後仰々しく高所作業車ととも作業員が現れ、工事着手。
必要ないと言ったものをこんな風に工事するのってどうなんだ?
あと、NTTからこの事についての電話は何度もあったのだけど、20時頃に電話が来た事もあって、こんな時間に電話してくるなよ、と思いつつ話しをしたりしたのだが、こういう営業の電話って時間制限ないのか?
4月、roofでの展覧会中に知り合った人が偶然この話しを始めて、その人は21時頃残業が終わってヘトヘトで家に帰ったらNTTから営業の電話が来て、すげームカついた、と言ってた。北海道のウチに電話してきたオペレーターと東京のその人の家に電話したオペレーター、まさか同じ人間じゃあるまいし、NTTは全国的にこの時間も営業電話をかけてるってことなんかね?
仕事とはいえ、時間はやっぱり考えて欲しいよ。
しかし、オレはネット開設の手続きとどうも相性が悪い。
パリでも散々待たされた。パリでの格闘に比べれば、今回のは肉まんかと思って食べたらあんまんだったくらいのストレスだったが(これも十分大きなストレスだという人もいるだろうが)、しかしすんなりとはいってない。
パリでのネット開設のトラブル。
そもそもこのトラブル(トラブルと書いて闘いと読む)を沢山の人に知って欲しいという思いから「ベースヨシオカのフランス生活」を作った。つまり「ベースヨシオカ」の原点である。
下のURLにある「奮闘記」の「フランステレコム英語オペレーターとの闘い」に詳しく書いてあるので、皆さん是非読んでください。
http://www.yoshiokashigeto.jp/PARIS.03-04/paris-mainpage.html
これを知らずにベースヨシオカファンを名乗るなかれ!!